2026年1月号
22人抜きの真実
吉田響が語るニューイヤー駅伝と
大阪マラソンへの挑戦
ニューイヤー駅伝2区で衝撃の22人抜き、区間賞と区間新記録―。

2026年元日。日本長距離界のエースが集うニューイヤー駅伝2区で、歴史が動いた。24位でタスキを受けた吉田響選手は、22人抜きという驚異の追い上げを見せ、区間記録を39秒も更新。

ルーキーとしては10年ぶり、史上2人目となる2区区間賞を獲得。サンベルクスを過去最高順位の5位に押し上げた激走の舞台裏、そして次に見据える「マラソン日本記録」への挑戦。長距離界の主役へと一気に躍り出た吉田響が、レース中に意識していた「余裕を作る走り」、そして初マラソンで日本新記録を狙う覚悟を語る。
ーあれだけの走りの後、ファンとしては吉田選手の体調が心配だった方も多いと思います。身体の状態、疲労の抜け具合はいかがですか?

吉田響
はい、周囲もだいぶ落ち着いて、疲れも取れました。当日レース後はぐったりというほどではなくて、走る元気はないけどしゃべる元気はあって、ホテルに着いてからは両親や友達と電話したりして過ごしていました。翌日が箱根駅伝のラジオに出演だったので8〜9時間ぐらい座りっぱなしで、身体がガチガチになりました(笑)。身体の疲れは、1週間ぐらいは取っても抜けない状態だったので、トレーナーのところに通ったり、時間をかけて身体の奥の方の疲労を取るようにしっかりとケアをしました。

Chapter1

ニューイヤー駅伝2区、区間賞と区間新記録の舞台裏
ー ニューイヤー駅伝2区での走りは、元旦の大きな話題になりました。ご自身としては、改めて振り返ってどんなレースでしたか?

吉田響
『正直、スタート前は緊張感があり、ウォーミングアップ中は選手同士の距離が近くて。自分は周囲の選手と話しをしながらリラックスすることができました。タスキ渡しの時は選手同士が混乱していたので怖さもありました。でも24位だったおかげでごちゃごちゃした集団に巻き込まれることが少なかったのはよかったですね。2区はどのチームも強い選手たちの中で、24位でスタートしてどんどん抜いていく展開だったので、いつも通り脱力を意識して予定通り前半から突っ込みました。』


ー 2区のエース区間。24位という位置でタスキを受けた時、どのような心境でしたか?

吉田響
『正直なところ、不安よりも「全員抜いてやろう」というワクワク感でいっぱいでした。レース前に田中総監督から、「1位と20〜30秒以内の差ぐらいだろうから、響が前を楽しんで追っていける展開になる。そこを楽しんでほしい。」と言われていたんです。

実際にタスキをもらった時の差がちょうど20秒だったので、「監督の言う通りだ、理想通りの展開だ」と。1区の選手が最高の形で繋いでくれたので、もらった瞬間から「トップまで行こう」という強い心意気でスタートしました。できるというよりは行くしかないという気持ちで、1秒でも早く追いつこうと思っていました。


ー「区間賞」と「区間新記録」、どちらがより嬉しかったですか?

吉田響
やっぱり区間賞ですね。順位で一番になるというのは感情的に大きいですし、タイトルとして形に残るので、そこはずっとこだわっていました。年末のインタビューでも「ずっと2位だったので1位を取りたい」と話しましたが、それが実現できて本当に嬉しいです。』


ー ゴール後、監督やコーチ、ファンからはどんな言葉をかけられましたか?

吉田響
『監督からは「よくやってくれた。響のおかげでここまで順位を上げられて初入賞できた。ありがとう。」って言ってもらえました。瀧川コーチは、次の選手の応援に行っていたのでゴールした時は会えなかったですね。"瀧川さんは、結果に浸るタイプではなくて、常に前、次を見ているので。今回のレースは当然の結果という感じでしたね"
ただ後日に「エースが集まる区間であれだけの走りができたのは、すごいことだよ。」と、
知り合いには熱く言っていましたね(笑)。

ゴール直後は高木キャプテンがサポートしてくれて、そのままドーピング検査に行きました。その後会場に向かってゴールを見届けることができました。

(2区の後)レース中は、合間に取材が来たり、ファンもたくさん来てくださったので可能な限りサインしたり、創価大学の同期と会えて話をしたり、最高の時間でした。』


ー 来年以降のサンベルクスチームの活躍も楽しみですね。

吉田響
『そうですね。僕はまだ駅伝で優勝したことがないので、サンベルクスで優勝したいなと思っています。今後のチームの目標はまだ聞いていませんけど、個人としてはそう思っています。』
日本の長距離陸上界を代表する各チームのエースが集う2区。24位という順位でタスキを受けた吉田響。しかし、私の前に座る彼は、その状況を「最高のエンターテインメント」であったかのように、目を輝かせて振り返ったのが印象的だった。特筆すべきは、彼の口から漏れた「不安よりもワクワク感が勝った」という言葉だ。

日本中の視線が集まる元旦の晴れ舞台、しかも猛者たちが集う2区。24位でタスキを受け取った瞬間、普通の選手なら「どこまで順位を上げられるか」と現実的な目標設定に切り替えるだろう。しかし吉田響は、その場面で「全員抜いてやろう」というワクワク感に包まれていたという。そこには、不安や焦りよりも、レースを“楽しむ対象”として捉える強さがあった。

特に印象的だったのは、「できるかどうか」ではなく、「行くしかない」という言葉だ。これは無謀さではなく、これまで積み重ねてきた練習と実績に裏打ちされた覚悟であり、自分の力を信じ切るアスリート特有の境地だと感じた。エース区間という極度の緊張感の中でも、周囲の選手と会話を交わし、脱力を意識しながらレースに入る姿勢からは、精神的な強さがにじみ出ている。22人抜きという記録的な結果は、単なる脚力の証明ではなく、「余裕の中で戦う」という彼の競技戦略が形になった瞬間だった。

Chapter2

【驚異の10km通過"27分42秒"】攻めの走りと終盤の死闘
ー 今回のレース、10kmの通過タイムが「27分42秒」という驚異的なペースでした。これは想定通りでしたか?

吉田響
いえ、自分でもレースでは出したことがないタイムだったので、正直「早すぎたかな」と少し焦りました。これまでの区間記録保持者である太田智樹選手のデータだと、10kmを28分5秒前後で入るのがセオリーなんです。瀧川コーチとは28分前後で入ってくれたらいいよ。って話していたのですが、当日は感覚に従っていたら27分42秒。ただ、そこで無理にタイムを下げると動きが悪くなるので「自分の感覚を信じて行こう。きつくなったら前の選手に引っ張ってもらえばいい」と腹を括りました。


ー 走る前と走ってみたイメージの違いはありましたか?

吉田響
最初の入りが締まれば、その後も安定するよね、と瀧川さんと話していて"出だしを大事に"思っていたんです。5kmの時点でタイムが速かったので、想定より速いなと思ったぐらいですね。あと自分が首位に出た16km過ぎで、道路がボコボコした箇所があって、そこで一度足が崩れてかなりしんどくなりました。試走では車道を走れないので、レースを走ってみないとわからなかったところです。東日本実業団駅伝後に、レースへの作り込みや想定がより深くなったので、それは予選の経験が活きたなと思ったところです。


ー レース中にかなり余裕があるように感じました。特に沿道を見ながら走っている場面など、スピードの割に表情が柔らかかった印象です。

吉田響
抜いていく選手が強い選手ばかりで楽しかったですし、子どもたちが僕を追いかけて走ってくれる姿も見えて、可愛いなと思いながら走っていました。本当はそんな余裕はないはずなんです。でも、余裕がない時こそあえて「余裕を作る」ことで、自分を精神的に追い込みすぎないように意識していました。』


ー 
他の選手と給水を共有する場面もありましたね。どのような話しをしていたんですか?

吉田響
静岡の先輩である西澤 侑真さん(トヨタ紡織)に給水ポイントで「響、水ちょうだい」と声をかけてもらって水を回したり、トヨタの芽吹さんと目が合った時に笑顔で応えたり。あの時は話しはしていないんです。平林選手には抜く時に「来てよ!」というサインを送って、彼も学生時代からすごい強い選手で負けず嫌いなので、彼なら来てくれると思っていました。その通りグッとペースを上げてついてきてくれたので自分もしっかりと走れました。お互いの力を引き出し合うっていう関係だと思っていて、お互いにそれができたことは良かったですね。

憧れの(鈴木)芽吹さんと並走した時も笑顔を返してくれて、「本当に走るのが楽しい」と思えた瞬間でした。沿道は芽吹さんのファンが多くて、すごい人気だなと改めて思いましたね(笑)。
ー 逆にきつかったシーンはどのあたりですか?

吉田響
『先頭集団が2分48秒〜49秒ぐらいで走っていて、僕が追いついた時は2分46秒〜47秒くらいだったと思います。その時点で余裕があったわけではなかったので、他の選手の力を借りようと考えていました。4人だった首位が3人になって、一番きつかったのはそのあたり、ラスト17km〜ラストがきつかったです。


ー 終盤、今江選手(GMO)や平林選手(ロジスティード)らとの激しい競り合いがありました。

吉田響
今江さんは後ろで力を溜めているのが分かっていたので、あえて18〜20kmのところは後ろに付いてラスト勝負に備えました。ただ、ラスト1kmで今江さんが飛び出した時、そのギアの上げ方は想定以上でした。さすがに経験の差を感じましたが、自分なりに一段階切り替える走りはできたので、6秒差で粘れた。今後の課題とこれまでの成果を得られたレースでした。


ー 駅伝という競技は、タイムが1位でも順位が2位というような独特の構造があります。そこに難しさも感じますか?

吉田響
本当に難しいですね。本当はそこでトップに立たなきゃいけなかったので。区間賞と区間新記録、どちらも取れたという意味では100点、120点の走りはできていると思いますが、首位でタスキを渡せなかったところはちょっと複雑な気持ちです。。


ー それでも「いい成果」と「修正点」の両方が得られたと。

吉田響
はい。自分がやるべきことはやれたし、直すべきところもちゃんと見えました。だから来年はもっといい走りができると思います。いい課題といい成果を得られたニューイヤー駅伝でした。


ー 具体的に、直すべき点はどのあたりですか?

吉田響
特にラスト5キロ付近からタイムが落ちてしまったところです。(1km)2分50秒台にかかってしまったので、そこを2分40秒台でまとめられれば、1時間0分台、さらには1時間切りも見えてきます。イーブンペースで行ければ、10〜15秒はさらに短縮できる。そう考えると、来年はもっとパワーアップした姿を見せられると楽しみにしています。


ー ゴールした瞬間、どのような感情でしたか?

吉田響
実は、「やった!」の前に「コシ、ごめん!」でした(笑)。3区のコシ(越選手)にタスキを渡す時、勢い余ってタスキが外れてしまったんです。外れたまま渡してしまったので、彼には申し訳ないことをしました。タスキ外した時に「あれ?長いな」って思ったら外れてたんです。後で彼に聞いたら「マジで焦ったわ。でも逆にそれで緊張が解けたと。タスキをどう結び直そうか考えていたら走る緊張が飛んだよ」と言ってくれて、彼は優しいのでそう言ってくれて、本当に救われました。


ー 区間新記録を出したとわかった時は、どのような感情でしたか?

吉田響
自分での時計ではタイムラグがあるので、時計では1時間1分6秒になっていて、どうだろう?と思ってたんですが、今江さんに記録も勝てた時は"やった!"と思いました。レース前の目標タイムは1時間1分20秒だったので、上回れてほっとしました。


ー 越選手とは東海大学時代の同級生ですね。

吉田響
大学1年の時も同じチームでしたが、タスキを直接繋いだのは初めてだったので嬉しかったです。越は、サンベルクスの中でも非常に質が高い練習やハードなトレーニングを高い次元で共有できる唯一無二の存在。「あいつが頑張っているなら、俺も」といい刺激をくれる最高の仲間です。
最も驚かされたのは、10km通過「27分42秒」という衝撃のタイムを叩き出しながら、彼が「焦り」を瞬時に「確信」へと変えていた点だ。コーチとの事前の約束を大幅に上回るオーバーペース。そこで守りに入らず、「自分の感覚を信じる」と腹を括った決断力に、本番での勝負強さが見えてくる。

さらに、極限のデッドヒート中にライバルへ「来てよ!」と合図を送る姿には、底知れぬ凄みを感じる。「余裕がない時こそ、あえて余裕を作る」というセルフマネジメントは、もはやアスリートの域を超え、勝負師に近い。ライバルとお互いの力を引き出すという思考が、異次元の区間新記録を生んだのだろう。

120点の走りに満足せず、すでにラスト5kmの「数秒」を削る術を語る求道者としての姿勢。タスキのハプニングを笑うピュアな素顔と、世界を見据える冷徹な計算。このニューイヤー駅伝2区は、吉田響が“速い選手”から“チームを勝たせる選手”へと進化した象徴的なレースだった。

Chapter3

レース後、最初に訪れた"静かな時間"
ー レース後、最初に訪れた“静かな時間”は、どんな瞬間でしたか?

吉田響
閉会式や表彰式が終わっても、歩きながらずっとサインをしていたので、なかなか一息つける時間はなかったですね。会場を離れて、そのまま浜松町のホテルに向かったんですけど、その車の中が、やっとホッとできた時間でした。その時にお世話になっている方へ電話したり、報告したりしていました。


ー ホテルに着いて、ようやく1人になったときは?

吉田響
レース後、昼ごはんをちゃんと食べていなかったので、まずお腹がすごく空いていました(笑)。意外と疲れはなくて、走る元気はないけどしゃべる元気はあって、両親や友達に電話して話をしていました。


ー レース後の夜は、どのように過ごされましたか?

吉田響
ホテルに着いたのは夜で、元旦で周辺のお店がどこも開いていなくて(笑)。すごくお腹が減っていたので何かないかと探していたら、東京タワーが見えたんです。そのまま散歩がてら東京タワーまで歩きました。東京タワーには初めて行ったんですけど、ライトアップされた姿が格好良くて感動して、写真は撮りましたが自分は写っていません(笑)。夕飯は結局、東京タワーの近くで開いていた「築地銀だこ」を見つけたので、たこ焼き食べてました。
ー 翌日以降もかなり多忙だったそうですね。

吉田響
2日は文化放送のラジオに9時間弱出演しました。座りっぱなしで血液循環が悪くなって、体はガチガチでした。その後は実家のある御殿場に帰って、一日警察署長やラジオ出演、報告会や地元スポンサー訪問などをしていました。


ー お正月らしいことはできましたか?

吉田響
お正月。。。なかったですね(笑)!大福やおしるこなどお餅は大好きなんですけどお正月は食べてないなと(笑)。地元にいる友達に連絡して、同級生と近況報告をしました。地元以外では、おいしいものを食べようと少し高級な和食を食べに行ったり、カウンターで焼いてくれる鉄板焼き屋さんに友達を誘って行ったり。自分はテーブル席でしたが、友達の誕生日の祝いを兼ねて美味しい食事を楽しんだりして、リラックスして過ごしました。


ー 箱根駅伝後、創価大学の同期や現役メンバーとも会われたそうですね。

吉田響
はい。3日は大手町に行って、4年生を中心に声をかけました。小池莉希が区間賞を取っていたので、それもすごく嬉しくておめでとう〜です。チームとしては、雰囲気も良くてしっかりシードを取ってくれたので安心しましたし、僕が取れなかった区間賞を後輩が取ってくれたのは、本当に嬉しかったですね。
区間賞と区間新記録という大きな結果を残した直後にもかかわらず、吉田響が語ったのは「静かな達成感」よりも、むしろ“人とのつながり”だった。会場では歩きながらサインを続け、車の中でようやく一息ついたというエピソードからは、勝利の余韻に浸る暇もなく、応援してくれる人たちへの感謝を最優先に行動する姿が浮かび上がる。

激走直後の吉田選手を待っていたのは、煌びやかな祝宴ではなく、一人静かに見上げた東京タワーと「銀だこ」のたこ焼きだった。歴史的快挙を成し遂げた直後、一人で過ごしたこの時間は、自然体な23歳の青年が、熱狂と喧騒から「自分自身」を取り戻すための大切なひとときだったのかもしれない。

地元・御殿場での活動や友人との団らん。飾らない等身大の青年としての顔と、日本記録に挑む「怪物」としての顔。その両面を自然体で行き来する吉田響というランナーは、これからも多くの人々を惹きつけ、愛される存在であり続けるはずだ。

Chapter4

【マラソンへの挑戦】日本新記録への覚悟と身体改造
ー いよいよ次戦、大阪マラソンでの初マラソンです。「日本新記録」を掲げていますね。

吉田響
やるからには狙いに行きます。期待もありますが、30km、35kmを過ぎて体内のエネルギーが切れてから、どれだけ粘れるかという不安はあります。


ー その不安に対して、どのような準備をしていますか?

吉田響
トレーニングだけでなく、スペシャルドリンクをどうするか、食事の量や内容をどう変えるかといった基本的な部分も見直しています。ハーフまでなら、低脂質・高タンパク・高糖質を意識していれば対応できますが、フルではエネルギー切れを起こしてしまうので、ご飯の量も増やしていかないといけません。


ー 大阪マラソンまでのスケジュールを教えてください。

吉田響
明日からはまず千葉で1週間の合宿を行い、2月上旬からは九州地方へと拠点を移して最終調整に入ります。チームメイトもそれぞれマラソン出場を控えているので、お互いに刺激し合いながら、身体をしっかりとマラソン仕様に仕上げていくつもりです。その後、万全の準備を整えて大阪に入る予定です。


ー 2026年、吉田選手が目指す「その先」は?

吉田響
マラソンで日本新、そして昨年出られなかったトレイルのレースにも挑戦したい。昨年の黒部のようなイベントでのゲストランナーなどを通して、陸上の楽しさをもっと広げていきたいですね。マラソン、トレイル、そして陸上普及活動。この3つを、2025年よりもさらに濃く、深く取り組めたらと思っています。』


ー 最後に応援してくださるファンの方々へメッセージをお願いします。

吉田響
多大なるご支援、本当にありがとうございます。応援メッセージの一つ一つやSNSでの反応も力になっています。次はフルマラソンで日本新記録という高い壁に挑みます。皆さんも、仕事や学校、趣味など、いろいろな場面でチャレンジしていると思いますが、僕も負けずに今年も色々なことにチャレンジしていきます。お互いに切磋琢磨して、より良い2026年、より素敵な人生をみんなで過ごしていきましょう!
初マラソンで日本新記録―それは常識的に見れば、あまりに高いハードルだ。迷いなく口にした「日本新記録」という言葉。それは決して無謀な野心ではなく、己の限界を冷徹に見据えた上での「宣戦布告」のように聞こえた。ハーフとフルの決定的な違いである30km以降の「エネルギーの壁」に対し、彼は根性論ではなく、食事量やスペシャルドリンクの配合までをも一から見直すという、極めて科学的かつ泥臭いアプローチで準備を進めている。

また、彼が描く2026年のビジョンはロードでの記録に留まらず、昨年実現できなかったトレイルへの熱情、そして陸上の楽しさを伝える普及活動。この「挑戦の多動性」こそが、彼の走りに唯一無二の奥行きと爆発力を与えているのだろう。

「お互いに切磋琢磨しよう」というファンへの呼びかけは、一方的な言葉ではなく、共に高みを目指す一人の挑戦者としての連帯感に満ちていた。2月、大阪の地に立つ吉田響。彼が切り拓く未知の42.195kmの先には、日本陸上界の歴史を塗り替える新たな景色が、確かに広がっているはずだ。単にフルマラソンに挑むのではない。自らの競技人生を次のステージへと引き上げる、大きな一歩を踏み出そうとしている。
【編集後記】
ニューイヤー駅伝の圧巻の走りから、静かな余韻の時間、そして初マラソンという大きな挑戦へ―。今回のインタビューを通して浮かび上がったのは、結果だけでなく、その裏側にある思考、葛藤、そして覚悟でした。吉田響は、速さを誇る前に準備を語り、勝利を語る前に、仲間や支えてくれる人への感謝を語ります。

レースの興奮が冷めやらぬ中で行われた今回のインタビューで、最も印象に残ったのは、「余裕がない時こそ、あえて余裕を作る」という彼の言葉でした。初マラソンで日本新記録という目標は、簡単に口にできるものではありません。しかし彼は、それを夢や願望ではなく、現実的な課題として一つひとつ分解し、乗り越えようとしています。「怪物」と「青年」という二つの顔を自然体で行き来する彼だからこそ、私たちはその走りに、数字以上の物語を感じてしまうのかもしれません。

挑戦の舞台は駅伝からマラソンへ、そしてフィールドの外へも広がっています。走ることで誰かの背中を押し、陸上の楽しさを伝えていく―そんな役割をも背負い始めた今の吉田響を、これからも皆さんと一緒に見届けていけたら幸いです。

― 響選手への応援・活動支援について ― 
『Hibiki Journal』は、ファンの皆さまからの温かいご支援によって運営・発信されています。
「この挑戦を応援したい」「もう少し近くで見てみたい」と感じていただけた方は、
無理のない形で関わっていただけたら嬉しく思います。
走りの結果だけでなく、その背景にある挑戦や日常も含めて、これからも丁寧にお届けしていきます。

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