2026年2月特別号《前編》
初マラソンで勝負する理由 
― 瀧川コーチが明かす“吉田響・42.195km設計図”
2026年2月9日。大阪マラソンまで、あと13日。
合宿先の一室には、落ち着いた空気の中に力強い熱が漂っていた。

決戦を2週間後に控えたこの緊迫したタイミングで、瀧川コーチはひとつひとつを確認しながら冷静に熱く語る。
勝負に行きます。」その言葉の裏には、積み重ねた努力と揺るぎない確信があった。

なぜ、今このタイミングでマラソンなのか。なぜ舞台は大阪なのか。
箱根やニューイヤーで見せた“駅伝のエース”の姿は、まだ序章に過ぎない。2月22日、大阪の街で何が起きようとしているのか。
世界基準のランナーへと脱皮するその舞台裏にある「真実」。

本特集は前編・後編の二部構成。前編では、箱根駅伝やニューイヤー駅伝での圧倒的な走りを経て、吉田響がマラソンという新たな挑戦に向かう過程を、コーチの視点とともに紐解く。後編では、勝負に挑む吉田響を支えるマネジメントや、世界を見据えた長期戦略までを紹介する。戦略・哲学を追いながら、「吉田響・42.195km設計図」の全貌に迫る。

Chapter1

箱根の異端児を、世界の規格外へ。
― マラソン向きだと確信した“決定的瞬間” ―
ー 2021年の箱根5区の1年生記録(当時)、2025年の箱根2区で日本人歴代記録、そして2026年のニューイヤー駅伝2区での圧倒的な区間新記録を出したあの走り。
3つのタイトルを獲得してきた響選手。その中で、最も価値があると感じているレースはどれでしょうか?

瀧川コーチ
『間違いなく、1年生のときの箱根駅伝です。

当時、チームは17位で、シード圏(10位以内)とは約3分の差がありました。ところが響は箱根の山中で次々と他大学をかわし、終わってみれば7人抜き。チームを17位からシード圏の10位まで押し上げたのです。まだ1年生ですよ。箱根駅伝の歴史の中でも、これほどの走りを見せた選手がいただろうかと思うほど、強烈なインパクトでした。

あのときは、私自身もまだ指導のノウハウが完全に確立していたわけではありませんでしたが、その中で、想像以上の走りを彼が形にしてくれた。素直に、驚きと嬉しさが同時にありましたね。


ー そのレースで、瀧川コーチが「これは普通じゃない」と感じたポイントは何でしたか?

瀧川コーチ
一言で言えば、「傾斜に負けない走り」です。

大学1年生の7月頃、箱根を想定した山登り練習を、台風に近い悪コンディションの中で行いました。普通なら避ける状況ですが、「一度やらせてみよう」と思い、実施したんです。

すると、レース本番を想定したペースで登ってきた。「なんだこの走りは」と思いましたね。その時点で、私は監督に「これは絶対、山いけます」と報告しました。

その後、長野県・白樺湖での合宿で、上り坂を車で先導しながら走らせる練習を行いました。15人ほどの選手が時間差でスタートした中で、響は一番後ろからスタートし、5分ほどあった差をひっくり返してほぼ全員を抜いて2位まで駆け上がったんですよね。

この1年生の夏の走りは、今でも鮮明に覚えています。


ー その強さを見た瞬間、「駅伝のエース」ではなく、「42.195kmを攻略できる身体」だと判断された根拠は何だったのでしょうか。

瀧川コーチ
順序としては、最初からマラソンというより、まずトレイルランの可能性を感じていました。箱根駅伝で1年生が山登りであれだけ走れるなら、トレイルにもつながるだろうと。そこから練習を見ていく中で、「この子は二刀流でいけるな」と感じるようになりました。ちょうど大谷翔平選手が話題になり始めた頃で、長距離でも“二刀流”は可能だと思ったんです。大学3年生頃には、トレイル、そしてマラソンへとつながる構想がはっきりしてきました。』


ー 山登りの適性は、マラソンにも直結すると考えていますか。

瀧川コーチ
結果的に、彼はどちらもこなせるタイプでした。山に強い選手でも、平地が苦手なケースは多いですが、響は平地の走力も自然と伸びていきました。

気がつけば、平地の練習もしっかりこなせるようになり、傾斜から平地へとスムーズにつながっていった。だからこそ、「マラソンにも行けるな」と確信するようになったのです。


ー さまざまなプランが選択肢としてあった中で、なぜ今、42.195kmに挑戦すると決断されたのでしょうか。

瀧川コーチ
マラソンをやる構想自体は、ずっと持っていましたが、その中で「大阪かな」とぼんやり思い始めたのが、昨年(2025年)の夏頃です。

北海道での夏合宿の練習を見ていて、「これならマラソン走れるな」「もうマラソンをやっていい状態だ」と感じました。

正直、特定の瞬間に「決めた」というよりは、日々の練習の積み重ねの中で、「これならマラソンをやってもいいな」と思えるようになっていった、という感覚に近いですね。

スピード、持久力、リカバリー能力、レース後半の粘り——そういった要素が少しずつ整ってきて、「この走り方ならフルマラソンにも対応できる」と自然に思えるようになってきました。

その中で、初マラソンの舞台として最も適しているのはどこかと考えたとき、ペース設定やコース特性、時期を含めて、一番ちょうどいいと踏んだのが大阪マラソンでした。タイミング的にも、少し後ろにずらそうかと迷った時期もありましたが、最終的には今が最適だと判断しました。
ー ニューイヤー駅伝から約1ヵ月半というスパンは、短いと感じるか、ちょうど良いと感じるか、もしくは長すぎると感じますか?

瀧川コーチ
正直、体感としては「あっという間」です。ただ、短すぎるという感覚はありません。理想を言えば、もう少し時間があればとも思いますが、無理なく取り組めているスケジュールだと感じています。

ニューイヤー駅伝後に一度しっかり休ませ、その後の立ち上げの中で状態を見極めながら、マラソン仕様に自然に移行していく期間でした。

私の中で一つ大きなチェックポイントになったのが、1月14日のトレーニングでした。相模原のクロカンコースで、ニューイヤー駅伝後の立ち上げ段階としては非常に重要な練習だったのですが、そのときの彼の走りが、想像をはるかに超える出来だったんです。

疲労が残っている状態なのか、キレよく走れる状態なのか、その見極めがキーだったのですが、彼はそれを"軽々とクリア"してきました。「この時点でもう大丈夫だな」と確信できました。ニューイヤー駅伝の結果も含めて、特別なことをしなくても、これまでの積み重ねが十分あると感じたのは、この日でした。


ー マラソンに照準を合わせるトレーニングとして重視してきた事はどのようなことでしょうか?

瀧川コーチ
1月下旬から千葉県富津市で合宿を行い、そこでマラソン仕様のトレーニングに入っています。状態が良いまま合宿に入れたことが、大きな意味を持ちました。

派手さはありませんが、1回の練習での走行距離は、これまでの中で最も長い内容をこなしています。恒例のクロスカントリーも取り入れながら、距離と時間を積み上げる形を選びました。負荷は十分にかけながらも、リスクの高い練習は避ける。そのバランスを大切にしてきました。


ー 大阪マラソンに向けて、やり残したこと、できなかったことがあれば教えてください。

瀧川コーチ
陸上界の一般的な常識に照らせば、「やっていないこと」はあります。正直に言えば、やろうと思えばできた練習もありました。

ただ、私は彼とのこれまで5年半の積み重ねを信じています。その蓄えがあるからこそ、あえて詰め込みすぎず、思い切って勝負に出る判断をしました。やり残したというよりも「やらなくていい」と判断したことの方が多いですね。

現状、調整は非常に順調です。今の状態で大阪マラソンのスタートラインに立てることに、何の不安もありません。


ー ちなみに、最初に大阪マラソン出場を響選手に伝えたときの反応はどうでしたか?

瀧川コーチ
伝えたのは、11月3日の東日本実業団駅伝予選が終わった後でした。サンベルクス本社に移動中の車の中で伝えました。

そのタイミングには、私なりの狙いがありました。夏の練習で手応えを掴んでいて、東日本実業団駅伝は、想定していた走りができなければ、マラソンどころではないと考えていましたが、実際にはおおむね狙い通りの走りができた。その瞬間に、「これならマラソンは大丈夫だ」と私の中で確信が固まりました。

11月3日のレース自体については、私はあえて多くを語りませんでした。仕上げの段階で少しミスがあり、最終調整も含めて多少のズレが出た部分はありましたが、そこは修正可能だと分かっていました。なので、反省を求めるようなことは一切言わず、「マラソンは、大阪でやるからね」とだけ伝えました。

伝えた時、本人は素直に喜んでいました。「僕も大阪がいいと思っていました」と言われて、「響も同じように考えてたんだ」と思わず笑ってしまいましたが(笑)、意外と軽いノリではなく、しっかりと嬉しさを噛みしめている様子でしたね。いかにも響らしい反応でした。
瀧川コーチは、結果よりも「過程」を見抜く眼を持つ。高校1年生の段階で、タイムや順位以上に身体の使い方や傾斜への適応力というマラソン適性を見抜き、トレイルランを経由させつつマラソンへ導く複線的な成長モデルを描いた。

ニューイヤー駅伝から大阪マラソンまでの期間は、何か特別なことを上積みする時間というより、これまでの積み重ねを確認し、状態を見極める時間だった。その中でのある重要なトレーニングを通して、「もう大丈夫だ」と確信できたという言葉には、長く選手を見続けてきた指導者ならではの判断がにじむ。

また、「やっていないことはある」と率直に語りながらも、それを不足ではなく“選択”と捉えている姿勢も印象的だった。詰め込むのではなく、信じて送り出す。そのスタンスに、これまでの5年半の積み重ねが表れていた。

Chapter2

2.22、マラソンの常識が変わる日。― なぜ完走ではなく“勝負”なのか
ー 今回の大阪マラソンは、どんなレースにしたいと考えていますか?


瀧川コーチ
正直に言うと、現時点ではまだ迷っています(取材日は2月9日※レース13日前時点)。レースプランを決めきれていない、というのが本音です。

考えている軸は大きく3つあります。
「優勝を狙うのか」「日本記録を狙うのか」「日本陸上競技連盟が設定しているファストパス(2時間3分59秒以内)を狙うのか」。
この3つのどこに重きを置くかで、レースの組み立ては大きく変わってきます。

30km以降の勝負どころでしっかりスパートして、順位を最優先にして優勝を狙いに行くプランもあります。記録よりも「勝ち切る」レースをするという選択肢です。一方で、序盤から日本記録ペースを視野に入れ、終盤まで崩さず押し切る“記録特化型”の組み立てもあります。また、現実的な選択肢として、思い切って2時間3分台を狙いに行くプランも、可能性としては残しています。

現地のコンディション、展開、他の選手の動きなどを見ながら、最終的な判断を下すことになると思います。ここまで具体的なプランニングを公の場で話すことはあまりありませんが、それだけ今回のレースを重要な一戦として捉えている、ということでもあります。


ー日本では「初マラソン=まずは完走」が常識ですが、今回は最初から“勝負”に行くと決めました。
そう判断した一番の根拠となったものは、何だったのでしょうか?

瀧川コーチ
実は、私から「初マラソンで日本記録を狙う」と言ったことは一度もありません。最初にそう言い出したのは本人で、たしかプロランナーとしての最初の公式の場となった、サンベルクスでの記者会見(2025年4月2日)だったと思います。

ただ、その時点では私はそこまで強く意識していませんでした。目標を先に立てるというよりも、一つ一つ丁寧に積み重ねて、その先に何が見えるかで判断する、というスタイルでやってきたので。

「モチベーションがないとダメだ」と言う人もいますが、プロになってモチベーションがないわけがありません。私は、日々の積み重ねの中で、選手の状態や伸び方を見てジャッジするタイプの指導者です。

ですから、彼が日本記録と言い出した時も、私の中では「強化していく過程で、自然とそこにピントが合ってきた」という感覚でした。ここまで積み上げてきたものを見れば、「狙える」「可能性は十分にある」という判断に至った、というのが正直なところです。

もちろん、指導者として「それはやりすぎだ」と判断すれば止めます。ただ、彼のポテンシャルとここまでの成長を見ていれば、トップ選手と本気で勝負するフェーズに入っていると感じました。』


ー 仮に日本記録を視野に入れてスタートするとした場合、大阪マラソンは「通過点」なのでしょうか。それとも、ここで結果を出すこと自体に大きな意味を置いていますか?

瀧川コーチ
正直に言うと、「初マラソンだから特別」という感情は、私の中にはあまりありません。彼の中にも、たぶんそれはないと思います。

結論から言えば、結果的には通過点になるのでしょうが、「ここは通過点だからこれぐらいでいい」とか、「世界を見据えて最低限ここはこれ」といったような捉え方はしていません。

ただ、これまで積み上げてきた流れの中で、いずれ来るはずだった初マラソンが、たまたま今、ここで来た。そういう感覚です。特別視するのではなく、一人の長距離アスリートとして、目の前のレースをしっかり走り、しっかり結果を出しにいく。その延長線上に、次のステージがある。そんな自然体のスタンスで臨んでいます。
ー なぜ大阪を選んだのですか?コース、気象条件、レース展開、ペースメーカー構成…。「大阪マラソンが最適だ」と判断した理由を、できる範囲で教えてください。

瀧川コーチ
一番大きい理由は、過去の実績です。大阪マラソンでは、直近4大会連続で「初マラソン日本最高記録」が出ています。
2022年は星選手(2時間7分31秒)、2023年は西山選手(2時間6分45秒)、2024年は平林選手(2時間6分18秒)、2025年は近藤選手(2時間5分39秒)と、初マラソンでの日本記録が続いています。

これは単なる偶然ではなく、コースの走りやすさや気象条件、ペースメーカー構成など、初マラソンの選手が力を出しやすい環境が整っている大会だと判断しています。いわゆる記録が出やすいコースであると言えると思います。よって響が初マラソンで最大限のパフォーマンスを引き出すには、大阪が最適だと考えました。


ー 逆に、大阪マラソンのコース特性について、響選手の走りに影響しそうなポイントはありますか?

瀧川コーチ
正直なところ、コースそのものについては、特別に気にしている部分はあまりないですね。アップダウンや折り返しの多さも含めて、走りに大きく影響するとは考えていません。

唯一、気になるとすれば寒さです。そこだけはもう天候次第なので、神のみぞ知るというか……。良い天気であって欲しいと思っています。


ー 理想のレース展開を描くとしたら、前半/中盤/終盤、それぞれ、どんな展開を想定していますか?

瀧川コーチ
純粋に言うと、どこまで“余裕を持って”走れるか、そこが一番のポイントですね。初マラソンなので、日本記録に近いペースで進む中で、どこまで余裕を保てるか。30km付近はよく「壁」と言われますけど、もしそこまで余裕を持って行けたら、その時点でかなり有利だと思っています。

あえて言うなら、前半は大阪の街並みを感じながら、楽しく走ってほしいですね。それくらい余裕を持って入ってほしい。もし先頭集団のペースが遅ければ、仕掛けていく、つまり単独で先頭に出る展開も十分にあります。「ペースが遅ければ、行ってもいいよ」という言い方はするかもしれませんね。逆に集団のペースが速ければ、その中で様子を見ながら進む形になると思います。

終盤については、本人が「行ける」と判断したら、思い切って飛び出していい。その判断を尊重するつもりです。


ー 響選手の“悪い状態”がレース中に出るとしたら、それは身体のどんなサインとして現れますか?

瀧川コーチ
正直に言うと、レースで大きく崩れるタイプではないんですよね。トレーニングでも、調子が悪いときに変な癖が出る、ということもほとんどありません。給水をしっかり取って、落ち着いて進めてもらえれば、それで十分だと思っています。


ー 今回のレースで、「この形になると危ない」という想定外のシナリオはありますか?

瀧川コーチ
不安はほとんどないですね。レース内容や本人の状態に関して、危ないシナリオというのは特に思い浮かばないです。唯一気にしているとすれば、寒さぐらいですね。本当にそこだけは天候次第なので。ただ、寒さがあっても響が遅くなるわけじゃないので、走り出せば問題ないと思っています。

全体としては、安心して送り出せる状態だと思っています。


ー Q.将来を見据えたとき、今回の大阪マラソンで特に重視して見ているポイントは、どこになりますか?
タイム、順位、レース運び、終盤の粘りなど、指導者として注目している観点を教えてください。

瀧川コーチ
間違いなく言えるのは、レース展開にもよりますが、ラスト10kmでどれだけ上げてこられるか、そこですね。まず一つの大きな指標は、ラスト10kmのタイムです。

これまで日本人で誰も出していない領域のタイムで走れるか、分かりやすく言えば、30km以降で“圧倒的な走り”ができるかどうか。そこを一番のチェックポイントにしています。

「初マラソン=まずは完走」という常識を、瀧川コーチが最初から疑っていたわけではない。ただ、吉田響の積み重ねを見続けた結果、「勝負に行く」という選択肢が自然と現実的に浮かび上がった。それが今回の大阪マラソンに向かう姿勢の本質である。

大阪マラソンを選んだのも、単に記録が出やすいからではない。過去の事例やコース特性、気象条件、そして「この選手なら最大値を引き出せる」という確信―これらが重なり、大阪は最適解となった。

印象的なのは、瀧川コーチが一貫して選手を特別視せず、一人の長距離アスリートとして目の前のレースに向き合う点だ。勝つのか、記録を狙うのか、選択肢は複数あるが、そのどれもが現実的に語られていること自体が、吉田響の現在地を示している。そしてコーチが最も重視しているのは、結果以上に、30km以降でどれだけ走りを引き上げられるか―つまり世界に通用する走りの質である。

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