ー 2021年の箱根5区の1年生記録(当時)、2025年の箱根2区で日本人歴代記録、そして2026年のニューイヤー駅伝2区での圧倒的な区間新記録を出したあの走り。
3つのタイトルを獲得してきた響選手。その中で、最も価値があると感じているレースはどれでしょうか?
瀧川コーチ
『間違いなく、1年生のときの箱根駅伝です。
当時、チームは17位で、シード圏(10位以内)とは約3分の差がありました。ところが響は箱根の山中で次々と他大学をかわし、終わってみれば7人抜き。チームを17位からシード圏の10位まで押し上げたのです。まだ1年生ですよ。箱根駅伝の歴史の中でも、これほどの走りを見せた選手がいただろうかと思うほど、強烈なインパクトでした。
あのときは、私自身もまだ指導のノウハウが完全に確立していたわけではありませんでしたが、その中で、想像以上の走りを彼が形にしてくれた。素直に、驚きと嬉しさが同時にありましたね。』
ー そのレースで、瀧川コーチが「これは普通じゃない」と感じたポイントは何でしたか?
瀧川コーチ
『一言で言えば、「傾斜に負けない走り」です。
大学1年生の7月頃、箱根を想定した山登り練習を、台風に近い悪コンディションの中で行いました。普通なら避ける状況ですが、「一度やらせてみよう」と思い、実施したんです。
すると、レース本番を想定したペースで登ってきた。「なんだこの走りは」と思いましたね。その時点で、私は監督に「これは絶対、山いけます」と報告しました。
その後、長野県・白樺湖での合宿で、上り坂を車で先導しながら走らせる練習を行いました。15人ほどの選手が時間差でスタートした中で、響は一番後ろからスタートし、5分ほどあった差をひっくり返してほぼ全員を抜いて2位まで駆け上がったんですよね。
この1年生の夏の走りは、今でも鮮明に覚えています。』
ー その強さを見た瞬間、「駅伝のエース」ではなく、「42.195kmを攻略できる身体」だと判断された根拠は何だったのでしょうか。
瀧川コーチ
『順序としては、最初からマラソンというより、まずトレイルランの可能性を感じていました。箱根駅伝で1年生が山登りであれだけ走れるなら、トレイルにもつながるだろうと。そこから練習を見ていく中で、「この子は二刀流でいけるな」と感じるようになりました。ちょうど大谷翔平選手が話題になり始めた頃で、長距離でも“二刀流”は可能だと思ったんです。大学3年生頃には、トレイル、そしてマラソンへとつながる構想がはっきりしてきました。』
ー 山登りの適性は、マラソンにも直結すると考えていますか。
瀧川コーチ
『結果的に、彼はどちらもこなせるタイプでした。山に強い選手でも、平地が苦手なケースは多いですが、響は平地の走力も自然と伸びていきました。
気がつけば、平地の練習もしっかりこなせるようになり、傾斜から平地へとスムーズにつながっていった。だからこそ、「マラソンにも行けるな」と確信するようになったのです。』
ー さまざまなプランが選択肢としてあった中で、なぜ今、42.195kmに挑戦すると決断されたのでしょうか。
瀧川コーチ
『マラソンをやる構想自体は、ずっと持っていましたが、その中で「大阪かな」とぼんやり思い始めたのが、昨年(2025年)の夏頃です。
北海道での夏合宿の練習を見ていて、「これならマラソン走れるな」「もうマラソンをやっていい状態だ」と感じました。
正直、特定の瞬間に「決めた」というよりは、日々の練習の積み重ねの中で、「これならマラソンをやってもいいな」と思えるようになっていった、という感覚に近いですね。
スピード、持久力、リカバリー能力、レース後半の粘り——そういった要素が少しずつ整ってきて、「この走り方ならフルマラソンにも対応できる」と自然に思えるようになってきました。
その中で、初マラソンの舞台として最も適しているのはどこかと考えたとき、ペース設定やコース特性、時期を含めて、一番ちょうどいいと踏んだのが大阪マラソンでした。タイミング的にも、少し後ろにずらそうかと迷った時期もありましたが、最終的には今が最適だと判断しました。』