2026年6月号
走ることと生きること
― 子どもの頃から今日までの、ひとつの問い
走ることは、いつからか吉田響の暮らしそのものになった。6月の今も、変わらず練習に向き合う日々を積み重ねている。

「走ることが好きだった」その気持ちは、プロ2年目を迎えた今、どんな形をしているのか。子どもの頃からの歩みを振り返りながら、吉田響が見つめているものを聞く。

レースや大会に向けて、走ることに本気で向き合う、中高生・大学生・市民ランナーにこそ読んでほしい一篇。

Chapter1

「"楽しい"から"仕事"になった日 ― その瞬間を聞く」
― 子どもの頃、走ることが好きだったと思いますが、記憶にあるのはいつ頃からですか?

吉田響
『走るのが好きだと思うようになったのは、幼稚園の年長の時でした。当時ペルテス病になって、思うように歩けない、動けないという時期があったんです。そこから自由に動けるようになって、歩くこと、走ることが楽しいなと思うようになりました。そこからずっと好きですね。

好きという気持ち自体はずっと変わっていないんですけど、好きの形は変わったかなと思います。昔は自由に体を動かせないところがスタートだったので、動かせることへの感謝が大きかったんですけど、大学やプロになるにつれて、恵まれた環境やサポート、応援をいただいて走れるありがたみ、その中で自分がしたいパフォーマンスを発揮できる楽しさが加わって、楽しいの幅が広がりました。』


― 子どもの頃、走るのが好き、楽しいって思ったシーンは?

吉田響
『小学校の時に持久走大会があって、スポーツ全般体を動かすのは好きだったんですけど、得意ではなくて。その中で持久走大会だけは毎年10位以内に入っていて、表彰をもらったりしていたので、そこから自分は長距離が得意なんだな、より好きだなと思うようになりました。

小学生の頃はランニングクラブやスクールに通っていたわけではなく、特に練習はしていなかったんですけど、持久走大会の時に走ったら結構いけるな、というところからのスタートでした。』


― あの頃の自分が、今走っている響選手を見たら、何て言うと思いますか?

吉田響
『すごいびっくりしてると思います。幼稚園ぐらいの時はどちらかというとパティシエとか料理人とか、ご飯を食べるのが大好きだったので、そっちの仕事をやれたら楽しそうだなと思っていたので、全然違うじゃんって思いますね。当時はスポーツ選手というのは頭の中に全くありませんでした。

小学校高学年から中学生の時は保育士、高校の時も保育士が選択肢に出ていたぐらいで、それぐらいまでは一般的な就職というところが頭にあったと思います。』


― 走ることが「好きなこと」から「仕事」になったと感じたのは、どんな瞬間でしたか?

吉田響
『プロランナーになったのは去年からですけど、意識としては大学3年生の三大駅伝のあたりからずっと持っていました。やっぱり結果で恩返ししたいというのもありましたし、大学に編入したことでファンの方の応援も増えたので、そこから強く意識するようになりました。大学4年生に入る時には、プロランナーになると決意していたので、その時から一つ一つの結果が自分の将来に大きく関わるというのを意識してやっていましたね。』


その変化は嬉しいものでしたか?それとも少し寂しさもありましたか?

吉田響
『寂しさみたいなのは全然なくて、もっと走りに興味を持っていこうという方向にモチベーションが上がっていきました。求められるレベルがどんどん上がっていく中で、それに伴って変わっていく自分が楽しかったですし、それだけ託されているという事実が嬉しかったので、変な緊張はなく思いっきり挑戦できました。』


― 好きなことが仕事になったという今、走ることのどんなところが好きですか?

吉田響
『練習でいうと、きつい中でも最後ペースをしっかり上げて、気持ちよくペースアップして自分の力を発揮して終われた時の充実感や楽しさがありますし、レースという部分だと、やっぱり勝負ごとなので、誰かに勝った瞬間や区間新記録を出した時の喜びが大きいです。逆にプライベートで友達とゆっくりジョグする時は、周りの景色や、普段話せないようなことをランニングしながら話せる、その3つの楽しさが今はあります。

レースで調子がいいなという時は、ゾクゾクワクワクしてきますし、歓声が湧いたりすると、それを体で感じることもあります。ニューイヤー駅伝の時はかなり感じすぎてしまったので、ペースが上がらないように抑えながら走っていました。』
今回初めて聞けたのが、幼少期の夢が「パティシエ」や「保育士」だったという話だ。ランナーとしての響選手しか知らない読者にとっては、意外な一面に映るはずだ。

ペルテス病で動けなかった時期が「走る楽しさ」の出発点になっているという事実も、競技結果だけを追っていては見えてこない背景だ。好きの「形」が変化しながらも芯は変わらないという語り方に、2年目の今の心境がよく表れていた。

Chapter2

「目標、挑戦、そして仲間 ― "中学・高校・大学" 三時代の記憶」
― 中学時代、部活で本格的に練習を始めた頃だと思います。中学時代はどんな目標や夢を持っていましたか?

吉田響
『部活の中では最初遅い方だったので、まずは駅伝メンバーに入るのが目標でした。当時、駅伝に出るためには3000メートルで9分50秒から9分30秒ぐらいの走力が必要だったんですけど、自分は最初3000メートルが11分台で、オスグッド(膝の成長痛)の時期も重なっていたので、中学1年生の時は全然走れませんでした。

中学2年生からオスグッドも治ってきて練習が積めるようになり、県大会にも出られるようになって、中学3年生の時には全国大会優勝を目標にして、結果として全国大会は決勝まで残ることができました。もう一つの全国大会にあたるジュニアオリンピックでは3000メートルで7位入賞ができて、優勝はできなかったんですけど、いい形で中学生時代を終えることができました。』


― 高校時代、競技の中で一番苦戦したところや出来事はなんですか?

吉田響
『高校2年生の6月あたりから、一人で練習を組み立てていかなきゃいけない部分が多くて、全部自分で考えて、調べたり勉強したりしてやっていたので、そこは大変でした。

ちょうど自分たちの代がコロナ禍と重なっていて、高校3年生になるタイミングで全国大会が1回なくなってしまったんです。最後の年でそれをずっと目標にして頑張っていたので、なくなった時はかなりモチベーションが落ちて、何をモチベーションにして頑張ればいいんだろうという時期がありました。結局全国大会の予選はあったんですけど、怪我をして出場できなかったので、高校生での5000メートルのベストも2年生の時が最後になってしまいました。中学・高校はずっと怪我に悩まされていて、メンタルの状態もあまり安定していなかったですね。』


― 大学時代、3年・4年とチームの中で自分の役割や立ち位置はどう変わっていきましたか?

吉田響
『3年生の時は「ゲームチェンジャー」という役割をいただいて、チームが後ろの状態であればより前に持っていく、逆にチームが前にいる時はさらに良い順位、3位以内の入賞に近づける走りを心がけていました。4年生になると、自分が結果を出して、少しでも前の位置で後半の選手たちが楽に走れるようにタイムを稼ぐのが仕事になりました。「エース」として、チームを引っ張る立場でしたね。


― チームとして仲間や後輩にどういうことを心がけていましたか?

吉田響
仲間に対しては、もともと口下手なところもあったので、とにかく練習で見せるタイプでした。距離をプラスで走っているところや、ペースを上げて速く走っているところを見せて、質の高い練習をやることが大事だと伝えていました。アドバイスを求められたり相談を受けることもあったので、その時は話を聞いていました。今は話す機会が増えて、言葉を選びながら話すようになったなと思っています。』


― 中学・高校・大学、それぞれの時代を振り返って、一番よく練習していたのはどの時代ですか?

吉田響
『練習量が一番積めていたのは大学時代なんですけど、一番きつかったのは中学・高校でした。中学生の時は体ができていなくて、思うように体が動いてくれないことがよくありましたし、高校時代は本当に限界まで、3分5分倒れて起き上がれないみたいな練習をずっとしていたので、そういう意味では中学・高校の方がきつかったです。大学は距離も質も高い練習ができていたという感覚ですね。


走ることへの姿勢は、どの時代で一番成長したと思いますか?

吉田響
一番成長を感じたのは大学4年生です。大学1、2年生の時は故障で練習を抜けることが多かったんですけど、3年生は1年間通して比較的怪我をせずに練習を積めることができて、その積み上げが4年生で一気に開花した感覚がありました。練習でも試合でも、一番強くなったなと実感できた時期でした。』
大学3年・4年は、響選手が世間に名前を知られるようになった時期でもあり、ファンの関心も高い時代だ。3年生の「ゲームチェンジャー」、4年生の「エース」という役割の違いは、本人の口から聞くと立場の変化がはっきり見えてくる。

口下手だったという自己認識から、今は言葉を選んで話すようになったという変化も、競技だけでなく人としての成長を感じさせる一節だ。

Chapter3

「プロとして生きるということ ― 1日、1歩が力をつくる」
― 6月の練習メニューの中で特に重点を置いていることは何ですか?

吉田響
『6月は、5月と比べてスピード練習を入れる機会が多くなっています。よりパワーアップした練習ができている感覚があって、ケニア人選手と一緒に練習をやらせていただく機会もこの6月はできたので、レースに近い、追い込むような練習ができて、自信につながりました。

自分の体で実感できる変化としては、きつい中でもしっかり動かせる、きつい中でもよりリラックスして走れるようになってきたなというのがありますね。』

― 最近の練習の中で、「これはうまくいった。気持ちよかった。」と感じた場面は何ですか?逆に「これは課題だ」と感じた具体的な場面は?

吉田響
『直近だと、ケニア人選手との練習でしっかりついていくことができた時、いい追い込み方ができたので気持ちよかったですね。逆に、マラソンに向けてもう少し距離を踏んでいきたいと思っているので、距離の上乗せをここからさらに増やしていかないといけないなというのは感じています。』


― 大会が近い時期と、今のように大会のない時期で、練習に向かう自分のスイッチの入れ方に違いはありますか?

吉田響
『大会に近い時の方が、食べるものや寝る時間にこだわるようになります。今のように練習しか積めない期間は、練習の質も高くなってくるので、頑張る時は本当に頑張って、休む時はしっかり休むというオンオフの切り替えを大事にしています。』


― 努力は必ず結果になって返ってくると思いますか?それとも、そうじゃない努力もあると思いますか?

吉田響
『半々だと思っています。正しい努力の振り方はすごく大事で、もし求めている結果に対して見返りが少ないのであれば、それは修正や根本的な見直しが必要なのかなと思います。逆に、目標に届かなかったとしても、頑張った経験や時間、思いは別の形で、別の場所で返ってくるものだと思うので、そういう意味では三角、半分半分というところですね。』
6月に入ってスピード練習の比重が増えているという話は、夏に向けて確実に負荷を上げている証拠だ。「努力は半々」という答え方は、結果至上主義に偏らない響選手らしい価値観がよく出ている。

ケニア人選手との練習で得た自信、そして距離をもっと踏みたいという課題感の両方を語ったことで、今のフェーズの輪郭がはっきりと伝わってくる。

Chapter4

「レースに向けた"最高のパフォーマンス"へ ― 何気ない一日を、価値ある一日に」
― 積み重ねの時期だからこそ、大事にしている考え方や心構えはありますか?

吉田響
『リカバリーは頑張った分だけ大事にしなければいけないと思っているので、サプリを取るタイミングや睡眠時間、ケアの質を上げられるように意識しています。メンタル的には、練習でできないことは本番でもできないので、本番でやりたいことは日頃の練習から意識して取り組むことを大事にしています。』


― 今の体のコンディションを、自分の言葉で表現するとどんな状態ですか?

吉田響
『今はいい感じです。疲れもそんなに溜まっている状態ではなくて、しっかりリカバリーが取れています。ただ、気圧の変化が自分の場合は肝になるところがあって、そこで体がむくんで血液循環が悪くなり、睡眠の質が落ちてしまったり、呼吸が吸いにくくなってしまったりすることがあります。練習とは違った疲労があるので、そこは気をつけながらやっていますね。ストレッチやマッサージで自分なりに疲労を取るようにしています。』


― 同じように目標に向かって頑張っている部活生やランナーに、響選手自身の経験から伝えられることはありますか?例えば、結果が出ない時期の過ごし方、練習を続けるモチベーション、目標との向き合い方など。

吉田響
『モチベーションをずっと維持し続けるのはすごく大変で、モチベーションに左右されてしまうと頑張りにムラが出てしまうので、努力をルーティン化してあげることが一つだと思います。何時にこれをやって、何時にこれをするというのを決めてあげると、それが日常になって淡々と頑張れるようになります。つまり大事なことは生活習慣を作るということですね。

また、結果が出ない時期は、結果を出すことももちろん大事なんですけど、それ以上に自分がなんで走っているのか、なんで走るのが好きなんだろうというところに目を向けると、自分のやりたいことが明確になって、もう一度頑張るきっかけをもらえることがあるので、原点を見つめ直すことも大事です。

それと、スポーツができる、陸上ができるということは当たり前のことじゃなくて、親御さんのサポートや、大会を運営してくださる方々、ボランティアや役員の方たち、顧問の先生、そういう人たちに感謝を持ってやることで、自分の競技により集中できますし、頑張る理由も見つかります。それが結果として全部自分に返ってくるので、初心を忘れず、感謝という原点を忘れずにやっていってほしいなと思います。

生活習慣の作り方としては、夏は暑くなる前に起きる時間を早くしたり、冬は日が昇るのが遅いので走り始める時間をずらしたりという調整をしています。習慣を変えた時、最初は意外と大丈夫なんですけど、続けて3日目4日目あたりが一番しんどくて、それを越えると1週間いかないぐらいでもう慣れてくる感覚です。自分は朝が苦手というのもありますけど、そこは最後は気合いで乗り越えています(笑)。』
「生活習慣をルーティン化する」という話は、特別な技術論ではなく、誰でも今日から始められる具体的な行動だ。3日目4日目が一番しんどく、1週間で慣れるという感覚は、部活生にとって実践しやすい目安になるはずだ。

そして「走れていることは当たり前じゃない」という感謝の視点は、結果が出ない時期にこそ立ち返ってほしい言葉だ。技術や才能の話ではなく、姿勢の話だからこそ、読者の年代を問わず届く内容になった。

COLUMN

コラム|吉田響の素顔
今月のご褒美 ─ 最近の最高の一口は?
『今月は大学の同期と静岡県の沼津に行って、海鮮丼を食べてきました。港のところですね。』
② 最近、練習以外で一番時間をかけてやったことは何ですか?
『特にないです。本当に練習ばかりで、アニメも見ないし、YouTubeも見ないし、漫画も見る時間もないですね。』
③ 最近、思わず笑ってしまった出来事はありますか?
『沼津に行った時に、水族館でペンギンに餌をあげられるところがあったんですけど、ペンギンが魚を食べる勢いがすごくて、泳いでいる時はかわいいんですけど、食べる時の目が怖くて、思わず笑っちゃいました。』
④ もし走る以外の競技を一つやるとしたら、何をやってみたいですか?
『ウィンタースポーツですね。スケートやスキーは楽しそうなので、競技というより遊びの延長線でやってみたいです。』
(写真:ウィンタースポーツを楽しむ幼少期の吉田響選手)
【編集後記】
幼稚園の頃、ペルテス病で思うように動けなかった時期があった。そこから自由に歩き、走れるようになった喜びが、響選手の「走るのが好き」という気持ちの出発点だったという。今回初めて聞いた、この一篇のインタビューを通して、聞こえてきたのはずっと一本の線だった。

好きの形は、その後何度も変わっている。持久走大会で表彰される嬉しさ、駅伝メンバーに入りたいという中学時代の目標、大学3年での「ゲームチェンジャー」、4年での「エース」。役割も景色も変わり続けてきたが、根っこにあるのは、自由に体を動かせること、走れることそのものへの感謝だった。

その感謝は、今の言葉にもそのまま流れている。第4章で語られた部活生へのメッセージは、特別な技術論ではなかった。努力をルーティン化すること。そして、走れているのは当たり前ではないと知ること。親や指導者、大会を支える人たちへの感謝を持つことが、結局は自分の競技に集中する力になる、という話だった。

幼稚園の頃に感じた「動けることへの感謝」と、プロ2年目の今語る「支えてくれる人への感謝」は、同じ一つの気持ちの、違う場所での表れ方なのだろう。夏の強化期に入り、練習の負荷も上がってきている。積み重ねの先に何が見えてくるのか、引き続き見届けていきたい。

― 響選手への応援・活動支援について ― 
『Hibiki Journal』は、ファンの皆さまからの温かいご支援によって運営・発信されています。
「この挑戦を応援したい」「もう少し近くで見てみたい」と感じていただけた方は、
無理のない形で関わっていただけたら嬉しく思います。
走りの結果だけでなく、その背景にある挑戦や日常も含めて、これからも丁寧にお届けしていきます。

-HIBIKI YOSHIDA Official site-

    

Top